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横浜家庭裁判所 昭和36年(家イ)259号 審判 1961年10月31日

(本籍 朝鮮 住所 長崎県)

笠原実こと 申立人 朴実生(仮名)

相手方 寺尾和雄(仮名) 外三名

主文

相手方寺尾和雄が昭和三十五年四月十八日届出によつてなした相手方笠原輝彦、同笠原安男、同笠原民子に対する認知は無効とする。

理由

申立人は主文同旨の調停並びに審判を求め、その事件の実情として「申立人は昭和二十四年一月笠原フミと婚姻したが、申立人の国籍が朝鮮であつたため正式の届出をなさず、爾来引続き同棲し、その間に相手方輝彦(昭和二十五年一月三十日生)同安男(昭和二十六年十二月十二日生)同民子(昭和二十九年七月十日生)をもうけたが、前記の如く申立人等は婚姻の届出をしていなかつたので、上記三児は母である笠原フミの戸籍に入籍した。当時における申立人等の生活は従来営業していた水飴商は営業不振のため廃業し、次いで一家は佐世保市に転出し、申立人は新柚木炭坑、西村産業炭抗等で稼働して暮していたが、フミの素行不良に基ずく精神的苦痛から精神病を発病して入院し、退院後昭和三十一年九月頃肩書現住所において薪炭商を営むこととなつたところ、フミは間もなく三児を連れて実家に帰つてしまつた。しかしその後フミが他の男と松浦市に居住していることを知つたので、申立人は同所にフミを訪ね、同女に対し三児を引渡しその養育を依頼したが、フミにおいて前記の男と別れて申立人と同居する旨言明したので申立人は同女および三児等を前記住所に連れ戻つたのであるが、翌昭和三十二年七月十四日フミは再び三児を残して家出をしてしまつた。

爾来相手方三児は申立人において養育しているのであるが、偶然のことから昭和三十五年四月二十一日申立人はフミと再会したので同女に対し申立人において三児を認知するから、そのために必要な戸籍謄本の送付方を求めたところ同年八月初旬フミから送付の戸籍謄本を見るとフミは相手方寺尾和雄と婚姻し、昭和三十五年四月十八日付で婚姻届出を了しており更に右和雄は同日付で相手方笠原輝彦、同安男、同民子を各認知していることとなつているので、右は事実に反するものであるから本件申立に及んだと述べた。

本件調停委員会の昭和三十六年六月二十二日調停期日に申立人および相手方三児特別代理人は出頭しなかつたが相手方寺尾和雄および相手方三児法定代理人寺尾フミ両名は出頭し本件申立の主旨並びに事件の実情として申立人の述べるところを全て認めて争わなかつたので本件の当事者間には実質的には合意が成立していると認めうるが、家事審判法第二三条を適用し得ないので同法第二四条に依ることとなるが、本件は同法第二三条第二項に記載されている事件に該当するから、同法第二四条の審判をなす場合でも同法第二三条の規定する慎重な手続を履践すべきものと解すべきである。然るときは本件記録に添付してある各戸籍謄本および家庭裁判所調査官の調査の結果を綜合すると申立人が事件の実情として述べることは、これを認めることができるから更に調停委員の意見を聴いたうえ家事審判法第二四条を適用し主文のとおり審判する。

(家事審判官 安達昌彦)

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